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最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)1799号 判決

上告人 甲野春男

被上告人 甲野夏子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人○○○○、同○○○○、同○○○○の上告理由について

上告理由書記載の上告理由第二について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、夫婦関係の破綻について主たる責任は被上告人にあるが、上告人にも少なからざる責任があり、夫婦の別居期間が相当の長期間に及んでいて婚姻を継続し難い重大な事由があるとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

その余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

よって、民訴法401条、95条、89条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 佐藤庄市郎 可部恒雄)

上告代理人○○○○、同○○○○、同○○○○の上告理由

○上告理由書記載の上告理由

第一 (編略)

第二 原判決には、民法第1条第2項、第770条第1項第5号の解釈適用を誤った違法がある。

一 本件当事者間の婚姻関係の破綻を作出した原因は被上告人にあり、被上告人は、いわゆる有責配偶者である。

有責配偶者からの離婚請求が民法第770条第1項第5号によって認容されるためには、夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との比較において相当の長期間に及ぶものでなければならない。その趣旨とするところは、別居後の時の経過とともに、当事者双方についての諸事情が変容し、これらのもつ社会的意味ないし社会的評価も変化することを免れないことから、有責配偶者からの離婚請求が信義誠実の原則に照らして許されるか否かを判断するに当っては、時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮すべきであるとすることにある(最高裁昭和62年9月2日大法廷判決・民集41巻6号1423頁、最高裁平成2年11月8日第一小法定判決・判例時報1370号55頁参照)。

二 そこで、有責配偶者からの離婚請求についての右法条に関する判例の解釈適用を検討すると、最高裁昭和62年9月2日大法廷判決・民集41巻6号1423頁は、別居期間36年、最高裁昭和62年11月24日判決・判例時報1256号28頁は、別居期間30年、最高裁昭和63年2月12日・判例時報1268号3頁は、別居期間22年、最高裁昭和63年4月7日・判例時報1293号94頁は、別居期間16年、平成元年9月7日・裁判集民事157号457頁は、別居期間15年6ヵ月につき、それぞれ相当の長期間ではないとしている。

三 最高裁平成2年11月8日第一小法定判決・判例時報1370号55頁は、控訴審の口頭弁論終結時において、同居期間23年余、別居期間8年弱の事案であるが、結論として有責配偶者からの離婚請求を認容している。

しかしながら、いみじくも右判決が述べているように、別居期間が相当の長期に及んでいるか否かを判断するに当っては、別居期間と両当事者の年齢及び同居期間とを数量的に対比するのみでは足りず、時の経過が当事者双方の諸事情にいかなる影響を及ぼすかをも検討しなければならない。そして、右判決は、〈1〉有責配偶者は、別居後も相手方配偶者及び子らに対し生活費を負担していること、〈2〉有責配偶者は、別居後まもなく不貞の相手方との関係を解消していること、〈3〉有責配偶者は、離婚請求をするに当り相手方配偶者に対し財産関係の清算について具体的で相応の誠意がある提案(総額1億数千万円)をしていること、〈4〉相手方配偶者は、別居後5年余り経過後有責配偶者名義の不動産に対して処分禁止の仮処分を執行していること、〈5〉成年に達した子らも離婚については相手方配偶者の意思に任せる意向であること、などの諸事情を考慮し、別居期間の経過にともなって当事者双方についての諸事情が変容し、これらのもつ社会的意味ないし社会的評価も変化したとしている。

これを本件と比較してみると、本件は、控訴審の口頭弁論終結時において、同居期間17年2ヵ月、別居期間9年8ヵ月である。

しかし、〈1〉有責配偶者たる被上告人は、昭和56年9月6日に家を飛び出した際にほとんどの預金通帳を持ち出し、子二人の生活費はまかなっていたとはいえ、上告人の母親の面倒を一切みていない。有責配偶者たる被上告人は、上告人らに対して別居後何ら誠意ある態度を示してはいないのである。これに対し、上告人は、自宅のローンを支払い続けているほか、長女の留学費に合計200万円与え、また、長男にも相応の小遣いを与えてきている。

〈2〉被上告人は、別居後訴外乙山一夫と不貞関係を解消しなかった。すなわち、別居は昭和56年9月6日に開始されたが、被上告人と乙山との不貞関係は昭和55年9月頃から約2年間続いたのである。そして、二人の関係は被上告人から関係を解消しようとしたのではなく、乙山は被上告人から離れたかったのであるが、乙山が被上告人と別れようとすると被上告人は乙山に800万円を要求したり、暴力団を利用して乙山との関係の維持を図ろうとしたのである。

〈3〉被上告人は、本離婚請求をするに当り上告人に対し財産関係の清算あるいは上告人に対して謝罪するなど何ら誠意ある行為を示していない。すなわち、本件第一審審理中において被上告人が訴外乙山一夫と不貞関係にあったことが明らかになっても、被上告人は同人との関係を否認するのみで、慰謝料の提示あるいは謝罪など一切なかったのである。

〈4〉上告人は、別居後も被上告人に対して離婚を前提とする行為を何らなしていない。控訴審において上告人は慰謝料請求をなしたが消滅時効を中断するためにやむをえずになしたものであり、予備的になしたものである。

〈5〉二人の子供たちは、いずれも成年に達しているとはいえ学業に勤しむ身であり、成熟しているとはいえないし、離婚についても当事者の意思に任せているといえるかは明らかではない。

以上のように、本件は、最高裁平成2年11月8日第一小法定判決・判例時報1370号55頁と事案を異にし、本件には適切ではない。

四 右に見たように、本件別居期間9年8ヵ月という時の経過は、被上告人の有責性を風化させるものではなく、当事者双方についての諸事情が変容し、これらのもつ社会的意味ないし社会的評価も変化したとはいえないのである。

原判決は、二人の子供も成人に達し未成熟子ではないこと、婚姻関係の破綻については上告人にも少なからず責任があること、上告人は婚姻共同生活を回復するについて積極的な意欲を示していない点なども考慮しているが、これらの認定が不当であることは前述したとおりであり、最高裁判例の傾向に反し別居期間9年8ヵ月という時の経過から有責配偶者からの離婚請求を認容するときには、自ら婚姻関係の破綻原因を作っても時が経ちさえすれば離婚という意図を貫徹することができることになってしまい、到底婚姻制度を維持することはできなくなろう。

五 ひっきょう、原判決は、民法第1条第2項、第770条第1項第5号の解釈適用を誤ったものというべきであり、かかる判断の誤りは原判決の結果に影響を与えることが明らかである。

以上

○平成3年10月8日付上告理由補充書記載の上告理由(編略)

〔参考1〕 二審(東京高平2(ネ)2092号、3058号 平3.7.16判決)

主文

一 原判決を取り消す。

控訴人と被控訴人とを離婚する。

被控訴人は、控訴人に対し、財産分与として、金700万円を支払え。

二 控訴人は、被控訴人に対し、金200万円及びこれに対する昭和55年11月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

三 被控訴人のその余の反訴請求を棄却する。

四 訴訟費用は、第一、二審及び本訴、反訴を通じて4分し、その1を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実

(申立て)

控訴代理人は、「原判決を取り消す。控訴人と被控訴人とを離婚する。被控訴人は、控訴人に対し、1000万円を分与せよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに予備的反訴について請求棄却の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決並びに当審における予備的反訴として、控訴人の本訴離婚請求が認容される場合につき、「控訴人は被控訴人に対し、1000万円及びこれに対する昭和55年9月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。反訴に関する費用は控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

(主張)

一 本訴

1 控訴人の請求原因

(一) 控訴人と被控訴人とは昭和39年7月2日に婚姻し、両者間に昭和40年12月26日に長男一郎が、昭和42年7月13日に長女花子がそれぞれ出生した。

被控訴人は、婚姻当時株式会社○○○○製作所(以下「○○○○製作所」という。)に勤務していたが、昭和41年2月ころ○○市に転勤した。ところが、被控訴人が交通事故を起こしたために同地に7年間も留まらざるを得なくなり、その間控訴人は知人もいない土地で苦労し、昭和48年3月に被控訴人が東京に転勤となったころには、控訴人は被控訴人の自立性がなく、何事に対しても決断のできない性格に対して不満を抱くようになっていた。

(二) 控訴人は、昭和49年6月ころから被控訴人の肩書住所地所在の自宅で料理教室を開いて近所の主婦に教えていたが、昭和52年10月には××市内で料理教室を開設した。

被控訴人は、昭和53年4月に○○○○製作所を退職し、1年間料理専門学校に通って調理師の免許を取得したが、その後は就職もしないで、控訴人の就職をするようにとの頼みも聞き入れず、終日家にこもって無為の生活を送り、日中から飲酒をすることもあり、生活費は専ら控訴人の収入に依存するようになった。

被控訴人は、このような生活状態のなかで猜疑心が強くなって、控訴人に対して暴力を振るうようになり、昭和54年10月ころ帰宅した控訴人にバケツで水をかけたこともあった。控訴人は、被控訴人のこのような態度に失望し、遅くとも右昭和54年10月ころには、被控訴人との婚姻を継続する意欲を失っていた。

(三) 被控訴人は、昭和55年4月に再就職したものの、収入を全く家計に入れないという状態で、夫及び父親としての役割を全く果たさず、控訴人及び子らと被控訴人との間の交流はなくなり、婚姻の実体は失われていた。そして、控訴人は、昭和56年9月6日の夕食の際に突然食卓をひっくり返し、そのために長男一郎が割れた茶碗で負傷するということが起こり、控訴人は、二人の子を連れて家を出て、その後別居の状態が続いている。

右のとおりであるから、控訴人と被控訴人との間の婚姻関係は、遅くとも昭和54年10月には既に破綻し、回復の見込みのない状態に至っていたというべきである。

(四) 被控訴人は、昭和53年からは生活費を全く負担しなくなり、以後は、控訴人が、自ら働いて得た収入で家計を維持し、二人の子を養育して進学もさせてきた。被控訴人が現在居住している木造瓦葺平家建居宅及びその敷地163.26平方メートル(以下「本件不動産」という。)は被控訴人の所有名義となっており、昭和47年9月30日に購入したものであるが、代金中の頭金300万円は婚姻中に蓄えた貯金から支出し、また、控訴人が一家の生活を支えてその維持に尽くしてきたものであるから、離婚に伴う財産分与の対象とすべきであり、控訴人の寄与の割合は2分の1と評価すべきである。本件不動産の時価は2000万円を下らないから、被控訴人は、控訴人に対し、離婚に伴う財産分与として1000万円を給付すべきである。

よって、控訴人は、被控訴人に対し、離婚及び1000万円の分与を求める。

2 請求原因に対する被控訴人の認否

(一) 請求原因(一)の事実のうち、婚姻及び子の出生関係の事実、被控訴人が○○○○製作所に勤務し、昭和41年2月ころから昭和48年3月まで転勤で○○市に居住していたこと並びに被控訴人が交通事故を起こしたことは認めるが、その余は否認する。

(二) 同(二)の事実のうち控訴人がその主張のとおり料理教室を開いたこと及び被控訴人が控訴人主張のとおり○○○○製作所を退職して料理学校に通って調理師免許を得たことは認めるが、その余は否認する。

(三) 同(三)の事実のうち、被控訴人が昭和55年4月に再就職したこと、昭和56年9月6日に食卓をひっくり返したこと及び同日控訴人が二人の子を連れて家を出て、その後別居状態が続いていることは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

(四) 同(四)の事実のうち、本件不動産が被控訴人の所有名義になっていることは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

3 被控訴人の抗弁

控訴人は、昭和54年7月ころから帰宅が遅くなって深夜に及ぶことも多くなり、外泊の回数も増え、生活態度も派手になった。そして、昭和54年暮ころから乙山一夫(以下「乙山」という。)と交際を始め、昭和55年9月ころから同人と情交関係を持つようになり、その関係は約2年間続いた。控訴人は、乙山のほかにも丙川某という情交関係を持った男性がいた。

控訴人と被控訴人との間に婚姻を継続し難い重大な事由があるとしても、それは、専ら控訴人の右不貞行為によるものであるから、控訴人が離婚を求めることは信義誠実の原則に反して許されない。

4 抗弁に対する控訴人の認否及び主張

(一) 控訴人が昭和54年7月ころから帰宅が遅くなり、外泊することがあったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 仮に、乙山との情交関係があったと認められるとしても、それは昭和55年9月以後のことであり、前記のとおり、控訴人と被控訴人との婚姻関係は昭和54年10月には既に破綻して回復の見込みがない状態になっていたのであるから、右行為が婚姻関係の破綻の原因となっているとはいえない。

(三) 仮に、被控訴人が婚姻関係の破綻についての有責配偶者であるとしても、本件においては、控訴人と被控訴人との間には未成熟の子は存在せず、被控訴人が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等の特段の事情はない上、婚姻関係の破綻については被控訴人にも原因があり、被控訴人が離婚に反対しているのは控訴人との同居、協力、扶助を望んでのことではなく控訴人に対するいやがらせのためにすぎないものである。これらの事情を考慮すれば、本件における別居期間は同居期間との対比において相当の長期間に及んでいるというべきであるから控訴人の本件離婚請求は、認容されるべきである。

5 控訴人の主張(4の(三))に対する認否

争う。

二人の子は成人しているとはいえ、まだ勉学中の身で独立しておらず、成熟しているとはいえない。また、有責配偶者である妻からの離婚請求が認容されるならば、被控訴人は勤務先でひぼう、中傷され、会社内での信頼度も低下し、社会的に極めて苛酷な状態に置かれることになる。

二 予備的反訴

1 被控訴人の請求原因

前記本訴におけるとおり、控訴人は、丙川某及び乙山と情交関係を持ち、被控訴人は、控訴人の右不貞行為により多大の精神的苦痛を受けたが、これを慰謝するには1000万円が相当である。

よって、被控訴人は、控訴人の本訴離婚請求が認容される場合には、控訴人に対し、慰謝料1000万円及びこれに対する控訴人が右不貞行為に及んだ昭和55年9月1日から支払済みまで民事法定利率年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2 請求原因に対する控訴人の認否

被控訴人主張の事実は否認し、その主張は争う。

(証拠関係)

原審及び当審記録中の各証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一 控訴人の本訴請求

1 その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第1、第6、第7号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第2号証、原審証人乙山一夫の証言、原審及び当審における控訴人及び被控訴人各本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 控訴人(昭和12年9月6日生)と被控訴人(昭和11年6月28日生)とは、昭和39年7月2日に婚姻し、昭和40年12月26日に長男一郎が、昭和42年7月13日に長女花子が出生した。

被控訴人は、婚姻当時、家具等の製造、販売を業とする○○○○製作所に勤務していたが、昭和41年○○市に転勤となり、昭和48年3月までの間控訴人一家は同地に居住していた。同年4月東京に転勤した後は、昭和47年9月30日に購入した自宅(本件不動産)で生活するようになった。

控訴人は、○○市における生活が長すぎたことや被控訴人が万事に消極的で頼りないということなどから被控訴人に対して不満を抱くようになってはいたが、控訴人夫婦は、そのころまでは平穏な家庭生活を送っていた。

(二) 控訴人は、昭和49年10月ころから自宅で料理教室を開き、更に昭和52年10月、××市内で「甲野料理教室」という名称で料理教室を開設して経営するようになった。

被控訴人は、控訴人が右料理教室を経営するようになったことから、自分が仕事を辞めても家族が生活に困ることはないと考えて、昭和53年3月に○○○○製作所を退職し、退職金を利用して1年間調理学校に通って調理師免許を取得した。

(三) しかし、被控訴人が○○○○製作所を退職するには明確な理由はなかったし、また、被控訴人は、その後の自らの進路及び一家の生活設計について何ら具体的な方針や見通しを持っておらず、これらの点について控訴人に説明や相談をしたり、控訴人の意見を聴いたりしたことはなかった。被控訴人は、調理師免許を取得するについても取得後の具体的な計画を持っていたわけではなかったし、免許を取得したものの、控訴人の経営する料理教室では必要とされず、他に職を求めて勤める意思はなく、また自ら事業を始めるというようなこともしないで、終日家にいて徒食するという生活を送り、控訴人から就職するように再三求められても、聞き入れなかった。○○○○製作所の退職後、被控訴人は全く生活費を負担せず、同製作所の退職金約150万円も調理学校の費用等すべて自ら費消した。

控訴人は、料理教室の経営が順調になって多忙となり、他方、働かずに生活費も負担しない被控訴人を疎ましく思うようになって、夫婦間の会話も乏しくなった。昭和54年4月ころからは夫婦間の性関係も途絶え、控訴人は、同年7月ころからは帰宅が遅くなって深夜に及ぶこともあり、また、外泊することもあった。そのことから、被控訴人は、控訴人を責めて暴力を振るうようになり、同年10月ころ、被控訴人のベッドに水をまき、また深夜帰宅した控訴人に対してバケツに入った水をかけたこともあり、控訴人の気持ちは、ますます被控訴人から離れることとなった。

被控訴人は、昭和55年4月から情報サービスを行う○○○○○に就職し、手取り約20万円の月収を得るようになったが、その後も全く生活費を負担しなかった。

(四) 控訴人は、昭和56年9月5日に料理教室の記念行事を行ったが、その準備のために同月4日及び翌5日外泊して6日に帰宅した。控訴人は、被控訴人にそのことを直接伝えていなかったので、6日夕食時に被控訴人が控訴人を詰問していさかいとなり、被控訴人が食卓をひっくり返して長男一郎が負傷をするという事態となり、控訴人は、これをきっかけに二人の子を伴って家を出、実妹の家で約3か月間滞在した後、××市内に部屋を借りて生活するようになり、以後被控訴人とは別居の状態が続いている。

(五) 控訴人は、昭和54年8月ころに知り合った乙山と昭和55年9月ころから情交関係を持つようになり、ホテルで密会したり、共に旅行するなどして昭和57年ころまでその関係を続けていた。被控訴人は、昭和57年4月ころ乙山の妻から控訴人と乙山との情交関係を知らされて右事実を知るに至り、憤慨している。

(六) 被控訴人は、右別居以後、二人の子の進学時に控訴人から経済的援助を求められてもこれを拒絶し、その後、子らの求めに応じて時に教育費の一部を支出し、小遣銭程度の援助をしたことがあるほか、控訴人及び二人の子の生活費も、教育費も負担したことはなく、控訴人に対しても帰宅を求めるなど婚姻関係の回復を試みたことはなく、実母及び叔母とともに生活している。控訴人の離婚の意思は極めて固いが、被控訴人は、控訴人から離婚を求められるような理由はないと考えており、現在も離婚に応ずる意思はない。

(七) 現在、長男一郎は25歳で医療関係の専門学校に在学中、長女花子は23歳でアメりカ留学中であるが、控訴人と被控訴人との離婚については反対しておらず、むしろ離婚を勧める口吻さえ洩らしている。

原審における控訴人及び被控訴人の各供述中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らして採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

また、被控訴人は、控訴人が乙山以外の男性とも情交関係を持っていた旨主張し、前掲乙山証言中にこれに沿うかのような部分があるが、不明確な伝聞にすぎないから、これをもって右の点を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠は存しない。

2 右認定のとおり、控訴人と被控訴人との間の婚姻関係は昭和39年7月以来17年2か月の同居期間に対し、昭和56年9月以降9年8か月の別居期間となっており、その間、特に昭和54年4月ころから夫婦間の性関係も途絶え、被控訴人は昭和55年4月には再就職したにもかかわらず、以後全く家計費も負担しない状態が続いており、控訴人は昭和55年9月ころから乙山と約2年間情交関係を持っていたことがあるなど夫婦としての共同生活の実体は既に失われているというべきであり、被控訴人が離婚に応ずる意思を有しないことを考慮しても、控訴人と被控訴人との婚姻関係は既に破綻し、回復の見込みがない状態に至っているといわなければならない。

したがって、控訴人と被控訴人との間には婚姻を継続し難い重大な事由があるというべきである。

なお、控訴人は、控訴人と被控訴人との婚姻関係は遅くとも昭和54年10月には破綻していた旨主張する。しかし、確かに、前記のとおり、昭和54年4月ころから控訴人と被控訴人とは夫婦間の性関係も途絶え、同年10月ころには、両者の間の関係は冷却したものとなっていたことがうかがわれるが、前記認定の事実に照らすと、いまだその時期においては夫婦としての共同生活の実体を欠き、その回復の見込みがない状態に至っていたとまでは認められない。

3 そこで、被控訴人の抗弁について判断する。

右のとおり、控訴人と被控訴人との婚姻関係は既に破綻し、回復の見込みがないというべきであるが、その破綻については、○○○○製作所の退職の際及びそれ以後において無責任な態度に終始し、婚姻共同生活における夫の責任をほとんど果たさず、控訴人に対して暴力行為や陰湿ないやがらせをくり返した被控訴人にも相当の責任があることは明らかであるけれども、控訴人の乙山との不貞行為が婚姻関係の破綻を決定的なものとしたというべきであるから、婚姻関係の破綻については控訴人に主として責任があるというべきである。

しかし、当審の口頭弁論終結時現在、控訴人は53歳、被控訴人は54歳で、その婚姻関係は、17年2か月の同居期間に対し、別居期間は9年8か月に及んでいる上、二人の子は、ともに成年に達していて未成熟子ではなく、離婚には反対しておらず、婚姻関係の破綻については被控訴人にも少なからず責任があり、控訴人と乙山との不貞行為は約2年間で終わっていること、被控訴人は、現在実母らと同居していて、控訴人との離婚を拒否はしているものの、被控訴人に婚姻共同生活を回復するについての積極的な意欲はうかがえず、全証拠によっても、離婚によって、被控訴人が精神的・社会的・経済的に苛酷な状態におかれるとは認められないことに照らすと、控訴人の本件離婚請求は信義誠実の原則に反して許されないとはいえないというべきである。

したがって、被控訴人の抗弁は理由がなく、控訴人の本件離婚請求はこれを認容すべきである。

4 そこで、控訴人の財産分与の請求について検討する。

前掲甲第6、第7号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第4、第5号証、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立の認められる甲第8、第9号証、原審における控訴人及び被控訴人各本人尋問の結果を総合すると、被控訴人は、昭和47年9月30日に本件不動産を約750万円で購入して自己名義に所有権移転登記を経由したこと、買受代金は、うち250万円を被控訴人の実母から贈与を受け、うち450万円を○○銀行○○○支店から融資を受けて支払い、右銀行に対して毎月返済しており、平成4年11月には返済を完了すること、右銀行に対する返済は、昭和53年4月から昭和55年3月までの間は控訴人がしたが、他は被控訴人がしていること、本件不動産の平成元年における価格は2000万円を下ることはないこと、本件不動産のほかに婚姻中に取得された財産はないことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。また、昭和53年4月から昭和56年9月の別居に至るまでの間の生活費及び別居後の二人の子の生活費、教育費を控訴人が負担していることは前示のとおりである。

そして、いわゆる夫婦財産の清算的な性格を有する財産分与は有責配偶者であっても、これを請求し得ると解すべきであるから、右事実からすると、被控訴人は、離婚に際し、控訴人に対して財産分与として700万円を給付すべきものというべきである。

二 被控訴人の予備的反訴

前示のとおり、控訴人の本件離婚請求は認容すべきであるが、控訴人の乙山との前記不貞行為は、被控訴人に対する不法行為であり、右行為により被控訴人は精神的苦痛を被ったことが明らかであるが、前記諸事情に照らすと、右苦痛を慰謝するには200万円が相当である。

したがって、被控訴人の控訴人に対する慰謝料請求は200万円の限度で理由がある。そして、被控訴人は右慰謝料について昭和55年9月1日以降の民事法定利率年5分の割合による遅延損害金を求めているが、前記認定のとおり控訴人の不貞行為の初期は同年9月ころと認め得るにとどまるから、右損害金については同年11月1日以降の分に限って認容することとする。

三 以上の次第で、控訴人の本件離婚請求は理由があるから、これと異なる原判決を取り消して右請求を認容し、被控訴人に対し700万円を分与することを命じ、当審における被控訴人の予備的反訴請求につき、慰謝料200万円及びこれに対する昭和55年11月1日から支払済みまで民事法定利率年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法96条、89条、92条を適用し、被控訴人の求める仮執行の宣言は相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。

〔参考2〕 一審(浦和地熊谷支昭62(タ)4号 平2.5.25判決)

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

1 原告と被告とを離婚する。

2 被告から原告に対し金1000万円を分与する。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

第二事案の概要

原告(昭和12年9月6日生)と被告(昭和11年6月28日生)は、昭和39年7月2日婚姻の届出をした夫婦で、両者の間にはいずれも成人に達した長男一郎(昭和40年12月26日生)、長女花子(昭和42年7月13日生)がある(甲1)。

原告は、離婚原因として、〈1〉被告は何事に対しても決断力がなく、経済的自立ができない我侭な人柄であること、〈2〉嫉妬心が強く、原告の男性関係を疑い、興奮の余り原告に対し再三暴力に及び、バケツで水をかけたりベッドに水をまいたりしたこと、〈3〉右の暴力は年と共にひどくなり、昭和59年9月ころには些細なことから夕食の食卓をひっくり返えし、長男に負傷させたこと、〈4〉被告は、原告が思い余って別居した昭和59年9月以降、父親としての責任を放棄し、子供らの養育費を負担せず、子供らに何らの愛情を示さないことなどから、原被告の婚姻関係は完全に破綻していると主張し、離婚及び財産分与1000万円の支払を求め、仮に婚姻破綻につき原告に責任の一端があったとしても、原被告間に未成熟の子は存せず、相当の長期間別居が継続しているから、原告の離婚請求は認容されるべきであると主張した。

被告は、原告主張の離婚原因を争い、原告は昭和52年10月××市内に料理教室を開いたころから、生活習慣が変わり、生活ぶりが派手になって深夜12時過ぎに帰宅することが多くなったのであるが、このころから独身を装って数人の男性と不貞の行為を行っていたことが明らかになったから有責配偶者に該当し離婚の請求は許されない。被告の意思に反し、離婚を認めることは被告を精神的社会的に苛酷な状況に置くことになり相当でないと主張した。

第三判断

一 証拠(甲1、2、証人乙山一夫、原被告本人)によると、次の事実が認められる。

1 原告と被告は、昭和52年10月原告が××市に料理教室を開くまでは比較的平穏な生活を送って来た。

2 被告は、昭和53年、食に関するビジネスをするためこれまで勤めていた株式会社○○○○製作所を退職した。その結果家計の責任は全部原告にかかることになった。被告は調理士学校に通い、昭和54年4月調理士免許を取得したが、その資格を生かして就職することもなく一日中家で過ごすことになった。

3 原告は料理教室の仕事を執道に乗せるため多忙な毎日を送り、夜間授業や関係者との交際のため夜遅く帰宅することが多くなった。被告は原告の帰宅が遅くなることを快く思わず、その度に原告を追究した。一方、原告は原告の努力を理解せず、一日中家に居て雨戸を閉め切り、ガウン姿で過ごす被告に不満を感じており、原被告は激しく口論をするようになった。

4 原告の帰宅は相変わらず遅く、昭和54年10月ころになると夫婦間の諍は更にひどくなった。被告は口論の際、原告に向かって物を投げ、原告の首や腕に手をかけることもあった。また、原告は午前3時、4時に帰宅することもあり、これに憤った被告が、帰宅した原告にバケツで水をかけ、蒲団の上に水を撒くこともあった。このため、原告の気持はますます被告から離れるようになった。

5 昭和54年12月、被告は原告が書いたラブレター様のものを発見し、原告を追究したが、原告は心に浮かんだことを書いただけだと弁明した。また昭和55年1月ころ、被告が料理学校職員の丁田某方に夜中の12時過ぎに電話したところ、丁田は「原告はいま入浴中なので出られない」と答えた。しかし、丁田方から帰宅するのに50分はかかる筈であるのに、原告が右電話の10分後に帰宅したため、被告はますます疑惑の念を深めた。

6 昭和55年3月原告は料理教室を××駅前に移転し、被告は情報サービスの会社に就職した。原被告間の諍はやや沈静化した。

7 昭和56年9月、料理教室の3周年記念行事があり、原告はその準備と打ち上げ会のため同月4日、5日の両日外泊した。原告が右外泊予定を被告に告げていなかったため、同月6日の夕方口論となり、被告は食卓をひっくりかえし、長男が負傷する騒ぎとなった。原告は出て行けという被告の言葉をきっかけに、子供らを連れて妹宅に移り、原被告の別居が始まった。

8 昭和57年4月、被告は乙山一夫の妻から電話を受けた。原告が夫と交際して大変困っているという内容であった。被告はのちに乙山一夫に会い直接事実を質した。その結果、原告と乙山が深い関係にあり、昭和55年9月ころから××市内や東京都内のホテルで密会を重ね、昭和56年5月には13日間のヨーロッパ旅行に行き、そのうち11日間は同室に宿泊したこと、また、京都や札幌でも同宿したことがあること、両者のこのような関係は昭和58年ころまで続いていたことが明らかとなった。

二 以上の事実によれば、原被告の婚姻は原告が家を出て別居を開始した昭和56年9月6日以降破綻したことが認められる。右破綻の一因は被告の原告に対する行きすぎた暴力の行使や陰湿ないやがらせにある。しかし、より大きな破綻の原因として原告の不貞行為を見逃すことができない。原告は破綻につき有責の配偶者ということになる。

そこで、原告からの離婚請求が許されるかについて検討するに、原被告間に未成熟子はおらず、被告が離婚により社会的経済的に特段に不利な状況におかれるものとは考えられないが、当事者の年齢(原告52歳、被告53歳)、同居期間(16年)に対比すると、本件における8年余の別居期間は、いまだ原告の有責配偶者としての責任と被告の離婚に反対する意向とを考慮の外に置くに足りる相当の長期間とまでは言い得ない。よって、原告の離婚請求は現段階においては認められない。

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